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連続テレビ小説「マッサン」のモデル、ニッカウヰスキーの竹鶴政孝ってどんな人? [雑学・その他]

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29日に放送開始したNHK連続テレビ小説「マッサン」は、およそ20%という好視聴率を記録してのスタートとなりました。
玉山鉄二さんとシャーロット・ケイト・フォックスさんがそれぞれニッカウヰスキーの生みの親である竹鶴政孝とその妻リタをモデルにした登場人物を演じていますね。

日本のウイスキーの父とも呼ばれる竹鶴政孝とはどのような人物だったのでしょうか?



若い時期から酒造一筋
広島県の酒造業・製塩業を営む家に生まれた竹鶴政孝。大阪高等工業学校(現、大阪大学工学部)醸造学科に進みましたが、洋酒に興味を持っていた竹鶴は卒業を待たずに大阪市の摂津酒造に入社。

1918年、純国産ウイスキーの製造を計画した摂津酒造社長、常務の命によりスコットランドに留学。
グラスゴー大学にて有機化学と応用化学を勉強しました。
後に妻となるリタ(ジェシー・ロバータ・カウン)とはこの留学中に出会います。

帰国後に純国産ウイスキーの製造に取り掛かるはずでしたが、第一次世界大戦による戦後恐慌の影響で計画は白紙に。竹鶴も退社を余儀なくされます。



サントリーを経て「日果」創業
1923年、竹鶴政孝はグラスゴー大学の紹介を経て大阪の寿屋(現、サントリー)社長の鳥井信治郎と出会い、10年の雇用契約で入社。契約終了して寿屋を退社した後、北海道余市町でのウイスキー製造を決意。大日本果汁株式会社を設立します。

ウイスキーは製造から販売まで年単位の月日がかかるため、余市の特産品のリンゴでジュースを作り、そこからの利益をウイスキー製造に当てることにしたのです。

1940年に余市で製造された最初のウイスキーを発売。
会社名から採られたその名は「ニッカウヰスキー」
直後、ウイスキーが統制品となることが決まり、日果の工場は海軍監督工場に。終戦まで配給用ウイスキーの製造に勤めました。

戦後に発売された「ブラック・ニッカ」のラベルの肖像は竹鶴本人がモデルであるとも言われています。



「マッサン」では登場人物の名前が変更されているものの、竹鶴政孝の人生に沿ったストーリーで構成されているとのことです。今後の展開が楽しみですね。



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